労働時間(残業など)や労働環境の不満で転職しました【男性の体験談】

労働時間や労働環境の不満(残業が多い・残業代が出ない・休みがない・プライベートがないなど)から転職した方の体験談を集めました。

回答が多かったため男性・女性でページを分けました。このページは男性の体験談です。女性の体験談は女性の体験談のページへ。

このページの目次

妻や子供との時間が持てないインターネットカフェの店長を辞める(28歳)

地方に住む28歳、子供と嫁がいます。

当時の職業はネットカフェの店長です。もともと接客が大好きで、マネジメントや経営を学びたかったのでインターネットカフェの店長をしておりました。

仕事としては24時間のフランチャイズ店舗の店長を任されており、いいスタッフにも恵まれ楽しくやりがいのある毎日を送っていたのですが、嫁と子供を家に残したまま夜は仕事をし、寝静まった頃に帰宅。

スタッフの状況次第で1日家を空けたり、夜中呼び出され店の対応をしたり、休みは月に4回あればいい方、アクシデントがあれば休みだろうが店に出なければならないなど、体調を崩すようになりました。

子供と触れ合いたい時期に触れ合えない、嫁との会話もなくなる、体調も悪くなる一方で踏ん切りをつけました。

実際、自分は家族を大切にしたいですし、会社は店長というのはそういうものだと当たり前のように押し付けてくるのが耐えきれなくなったのもあります。

今の職業は家族といれる時間、休みもしっかり取れますし給料も前より良くなりました。 今は家族サービスができるので、転職して本当に良かったと感じてます。

 

子供ができると土日休みがないのは辛い(33歳・自動車部品の生産技術)

33歳、男、自動車部品の生産技術を担当していました。

転職しようと考えた一番の理由は、労働環境が悪いことでした。生産技術ということもあり、毎週土日は出張で、遠い工場に出向き量産立ち上げ業務を行っていました。

結婚するまではそれでも我慢できていたのですが、結婚して子供ができると、土日休みが無いことがとても辛くなりました。そこで、転職しようと思い立ちました。

又、上司への不満も大きかったです。前職では、36協定はあるものの、守らないのが当たり前で、貸し残業というものがありました。毎月の規定残業以上は勤務表には付けず、どんどん貸し残業がたまって行く一方でした。

上司は全く改善する素振りは無く、そこについて意見すると不機嫌になり、話になりません。結果、サービス残業は当たり前という古い体質の会社でした。

現職はとても良い会社で、転職して良かったです。土日は絶対に休めますし、週2日は絶対に守らなければならない定時間日があります。妻、子供との時間を大切に生きられるようになりました。

 

プライベートのないIT関係からフリーランスへ(30歳)

転職時の年齢は30歳でIT関係で働いていました。性別は男性です。職業は現在パート・アルバイトと副業でフリーランスをしています。

私は、学生時代文学部教育学を専攻していました。転職しようと思った当時はITブームで、PHSから携帯へと移動端末の進化がバブル期で仕事も過渡期でした。

文系だったのにエンジニア職に就職できた私も、理工学部や情報学部といった出身の方々の混じって仕事をしていましたが、残業や休日出勤、終電の生活は当たり前で、労働時間もサービス残業ばかりでプライベートな時間が持てず、仕事が面白いと思えなくなりました。

毎日、睡眠不足とストレスで胃が痛くなる日々で、このまま都会でこの仕事を続けていくことが大変不安になりました。

派遣ではないのですが、常にお客様の会社へ常駐して自社で仕事をする機会がほとんどないため、社内で仲のいい人は同僚と信頼できる上司ぐらいでした。

同期入社した同僚も3年後には半分になり、5年後には三分の一になりました。そのタイミングで自分もさらなるスキルアップとやりたいことを求めて転職を決意しました。

転職してから、福祉事務の仕事をしました。給料は減りましたが、人間環境や労働環境は良く残業も少なく、自分の時間も持てるようになりました。お金はないならないなりでそれなりの生活をすればよいので、やりがいのある自分にあった仕事に就けて満足しています。

 

残業代は出ず、行きたくない会社の飲み会にも強制参加(27歳プログラマー)

転職時の年齢:27歳
男性・プログラマー(ソフトウェアエンジニア)

転職した理由はまず第一に、システム開発やコンサルティングなどの技術を売りにしているのに、営業色が強すぎる点です。

トップが営業上がりの人ばかりということもあり、技術的な取り組みはほとんどありませんでした。

さらに、定期的に行われる飲み会(定時後)は原則強制参加で、結局サービス残業のようなものでした。

また、スキルを極めるようなキャリアがなく、基本的に一定年数開発経験を積むと、マネジメント方面へいくというキャリアしか無いという点も不満でした。

入社4年目以降は裁量労働制になることで残業代が無くなります。

その分手当はつきますが、定時内は客先稼働、定時後や休日に自社内の仕事をするため、同じ時間働いた場合に3年目のほうが4年目以降より給与が高いということが発生する点も不満でした。

総じて、技術力が評価されるのではなく、人当たりの良さや勤務時間の長さ(受け持っている仕事の多さ)に比例して出世するような仕組みだったので、転職を決めました。

総合的には転職して良かったです。

飲み会の強制参加、残業代が出ないことなどがなくなり、プライベートな時間を多く持つことができました。

残業代も支払われるので、遅くまで働いても見返りがあります。 一方、給与は下がったが出金日数は増えたので、その点は不満でした。

 

休みが少なく拘束時間も長い栄養士から事務職へ(25歳)

25歳・男・栄養士を1年半してましたが、休みが少なく、拘束時間も長かった為、プライベートな時間がほとんど取れなかったことと、過剰労働で体調を崩したのが転職しようと思った理由です。

月4〜5日の休日があれば良い方で、シフトも正社員の人手が不足していて、正社員しか事業所の解錠施錠が許されていなかったものですから、通し(早番から遅番まで)の日が多かったです。通しの日は大体朝家を3時半に出て、4時には出勤していました。

仕事中はほとんど休憩も取れず食事も取れないことも度々ありました。帰りは10時過ぎでしたので、翌日も通しの場合は睡眠を3時間程しか取れずにまた出勤するというような状況でした。

入社して半年もすると先輩方がほとんど辞めてしまい、新人の教育を任されることとなってより過酷なものとなりました。退職前の半年間は体調も崩しがちで鬱気味になり辞めるに至りました。

転職して事務職に就きましたが、自分の時間を取ることができるようになりました。給与も増えましたので転職して良かったです。

 

労働環境の悪い学習塾から出版業界へ(25歳)

転職時25歳・男性・学習塾業界から出版業界へ

従業員の少ない会社で、私の直属の上司はオーナー社長でした。この社長の性格に問題があり、職場で顧客の悪口を平気で言う、自分が使ったものを片付けないなど、子どもっぽい人間でした。

それでも我慢して仕事をしていましたが、悪い労働環境に耐えられず辞めました。

まず、残業代が出ない。更にはイベント事での強制出社(代休や交通費はもちろん出ない)、給与振り込みの遅延、忌引きが取れない、勝手に交通費を削減させられるなどです。

先に述べたように、やったらやりっぱなしの社長なので、後始末はこちらがやる羽目になります。このように、ただでさえ多忙な業務に加えて社長の後始末をするので残業が発生するわけですが、残業代が出ないので馬鹿らしくなってくるのです。

だんだん鬱っぽくなり、退社を決意しました。

転職先の会社では残業代が出るだけで感動したほどです。

直属の上司、更にその上の役職の方々までも私を色々と気にかけてくださり、前職との差に驚きました。転職してよかったと思います。

 

残業月平均60時間、休日のほとんどないブラック企業から転職(40歳・建設コンサルタント)

現在40歳、男性です。土木系技術者です。32歳の時に、地場ゼネコンから建設コンサルタントに転職しました。

最近、東京オリンピックの会場建設をしている会社の社員が自殺したことがニュースになりましたが、建設業というのは大抵どこでも残業が多いものです。

私が所属していた会社も、残業は月平均60時間、土曜日はほぼ出勤、日曜日は提出書類や図面の作成、週明けの準備と年間の休日はほとんどありませんでした。今思えばブラック企業だったのだと思います。

残業時間分の給料が貰えていれば、年収800~900万円ぐらいにはなったと思いますが、実際の年収は400万程度。妻や子供がいますが、生活するには厳しい状況でした。

それでも土木系の学校を卒業して、異業種に今更転職することは考えられず、少ない時間の合間を縫って友人のつてで今の会社に転職したのです。

土木・建設業界全体が労働時間が長いという考えは今もかわっていませんが、前の会社に比べれば確実に給与が増えて600万円ほどとなり、土日や有給休暇も比較的安定して取れています。

家族とともに過ごす時間が増えたことが、私にとってなによりもうれしいことです。

あの時、転職を決断した自分をほめてあげたいです。

 

労働条件が厳しく、年をとると体力が持たないと思ったから(32歳・営業職)

32才男性、専門学校の講師から営業に転職しました。

転職した理由は、やはり労働条件が厳しく、若いうちは体力が持ちますが、年をとると体力が持たないと思ったからです。

私の勤めた専門学校の講師の仕事は、授業を行うだけでなく、テキストの作成や模試の作成、そしてイベントの広報など何でもやりました。

授業をするにあたっては、まず予習を行う必要がありますが、勤務中には生徒の対応などもあり、まず出来ません。家に帰ってからです。テキストの作成は生徒が来なくなったあとから行い、模試の作成が重なると泊まりになることもざらでした。

給料は年俸制で残業代は出ませんので、家族を養うのも、子供ができたあとは厳しかったのが理由です。

 

サービス残業で心身ともに疲れ切ってしまい、思い切って独立(31歳・自営業)

31歳男性、家電量販店から自営業(卸売)に転職しました。

長時間のサービス残業で心身ともに疲れ切ってしまい、ある程度自分の都合で動ける職種への転職を検討しましたが、地方在住のため、なかなか好条件の求人がなく、思い切って独立することにしました。

これまでの勤務先での人脈などはほとんど形成できていなかったため、一定期間は勤務を続けながら転職活動をしようと考えました。しかし、職場環境は一向に良くなる気配もなく、転職準備もままならない状況でした。

失業給付や傷病手当などの制度を調べつつ、より早期の退職を視野に入れて日々を過ごしていました。職場のサービス残業は月に80時間を超えて、やりがいもなく淡々とこなすしか無かったのです。

生産性の無い日々を変えるため、有給休暇を消化して早期に退職しました。

転職後は、時間にゆとりが出来たので良かったです。

 

ノルマへの強迫観念にかられるようになり、転職を決意(30歳・非営利団体職員)

30歳男性。保険会社から非営利団体に転職しました。

私が以前勤めていた会社は保険会社で、営業を担当していました。営業の職員には毎月一定数の顧客を確保するというノルマが与えられていました。

給料は完全に歩合制で、それぞれの営業職員のノルマの達成率によってその月の給料の額が決まりました。私は、最低限のノルマを達成していて給料もそこそこもらえていました。

しかし当時の私は、仕事中は勿論、家に帰ってからもお客さんの確保の事しか頭になく、家事の手伝いをしたり家族と休日に出かけたり、といったことが全くできていませんでした。

職場では、ノルマを達成できない営業職員が上司から酷く怒られているのをよく目にしました。その為、何とも言えない強迫観念にかられるようになりました。

次第に夜も眠れなくなっていき、食欲までなくなってきたので、私はたとえ給料が安くてもノルマが与えられず、勤務時間が短い仕事に転職しようと考えました。

結果的に、給料は減りましたが、家族と一緒に居られる時間が増えましたし、何より自分自身が仕事でストレスを感じなくなりました。

 

元々モチベーションは低かったが、出張が嫌だったことが特に大きい(26歳・配送ドライバー)

26歳男性、土木関係の会社の作業員から食品会社の配送ドライバーに転職しました。

高校卒業後に、以前働いていた土木関係の会社に就職したのですが、別にその分野に興味があったわけではなく消去法で選んだだけなので、元々モチベーションは低かったです。

それでも同僚には良い人が多くて、それなりに楽しくやれていたのですが、入社してから3年目に隣県に1年間出張することになりました。

正直に言うと出張は嫌でしたが、その分だけ給料が上がることに加えて、隣県ということで週末には家に帰ることも可能だったので、1年くらいならと我慢することにしました。

それからしばらく経って、もう少しで出張が終わるというタイミングだったのですが、ある時に今回の出張が終わってもすぐに別のところに出張になると聞かされました。今度は気軽に帰ってこられるような場所では無かったので、その時点で辞めたいと思うようになりました。

一応理由を聞いてみると、会社側が何か問題を起こしたようで、地元で仕事を取りづらくなったのが原因だと聞かされました。

出張が嫌だったことが特に大きいですが、それ以外にも通常時の給料の安さやあまり将来性を感じられる職種でないことから転職を決意しました。

転職後、前職よりは給料は上がったのでその点は良かったと思います。

また、土木関係の会社と比べれば出張になる可能性も低いと思うので、転職したいと思った理由も解消されたと感じています。

 

どうしても将来に対する不安がぬぐいきれなかった(39歳・施設支配人)

39歳男性・会社員です。

私が勤めていたのは温浴施設を運営する会社であり、とある温浴施設の支配人として現場運営やスタッフ管理の業務に従事していました。

支配人といっても給与は特に高いわけではなく、平社員と比べてもそう大差ないものでした。休みも不定期、年末年始も関係なく仕事・人員も足りない等不満に思う条件はいくらもありましたが、反面、売上ノルマ等は厳しくなかったので妥当だとも思っていました。しかし、40歳を目前にして転職を決めたのは、どうしても将来に対する不安がぬぐいきれなかったからです。

仮にも店舗の長でありながら、裁量権も昇給もなく、このままの給与で定年まで続けては老後の貯蓄もままなりません。また、店舗は老朽化していくものですから、今の店舗が無くなった時に次のポストの保証もありません。そういった不安(不満)を会社に伝えても会社からの回答はありません。もう一度やり直す事を考えると、40歳というのは例え手遅れであっても最後のチャンスと考え決めました。

転職してみて、40歳という年齢でも採用する会社というのはやはり何等か問題のある会社です。
私の選んだ会社の場合は、給与水準・勤務時間は前職と変わりませんが、モラハラ・パワハラが酷く精神的にはかなりきつくなりました。しかし、それでも自分で選んだ・挑戦したという気持ちがあるので、転職に後悔はありません。

 

地場ゼネコンから建設コンサルタントに転職(40歳・土木技術者)

現在40歳の男性です。土木系技術者です。
32歳の時に、地場ゼネコンから建設コンサルタントに転職しました。

最近、東京オリンピックの会場建設をしている会社の社員が自殺したことがニュースになりましたが、建設業というのは大抵どこでも残業が多いものです。

私が所属していた会社も残業は月平均60時間、土曜日はほぼ出勤、日曜日は提出書類や図面の作成、週明けの準備と年間の休日はほとんどありませんでした。今思えばブラック企業だったのだと思います。

残業時間分の給料が貰えていれば、年収800~900万円ぐらいにはなったと思いますが、実際の年収は400万程度。妻や子供がいますが、生活するには厳しい状況でした。

それでも土木系の学校を卒業して、異業種に今更転職することは考えられず、少ない時間の合間を縫って友人のつてで今の会社に転職したのです。

土木・建設業界全体が労働時間が長いという考えは今もかわっていませんが、前の会社に比べれば確実に給与が増えて600万円ほどとなり、土日や有給休暇も比較的安定して取れています。家族とともに過ごす時間が増えたことが、私にとってなによりもうれしいことです。

あの時転職を決断した自分をほめてあげたいです。

 

専門学校の講師から営業に転職し、悩みが解決しました(32歳・営業職)

私は専門学校の講師をしていましたが、営業職に転職しました。転職した理由は、やはり労働条件が厳しく、若いうちは体力が持ちますが、年をとると体力が持たないと思ったからです。

私の勤めた専門学校の講師の仕事は、授業を行うだけでなく、テキストの作成や模試の作成、そしてイベントの広報など、何でもやりました。授業にあってはまず予習を行う必要がありますが、勤務中には、生徒の対応などがあり、まずできません。家に帰ってからです。

テキストの作成は、生徒が来なくなったあとから行い、模試の作成が重なると泊まりになることはざらでした。給料は年俸制なので残業代は出ませんので、家族を養うのも、子供ができたあとは厳しかったのが理由でした。

 

好条件の求人がなく、思い切って独立(31歳・自営業)

31歳男性、家電量販店から自営業(卸売)に転職しました。

長時間のサービス残業で心身ともに疲れ切ってしまい、ある程度自分の都合で動ける職種への転職を検討しました。地方在住のため、なかなか好条件の求人がなく、思い切って独立することにしました。

これまでの勤務先での人脈などはほとんど形成できていなかったため、一定期間は勤務を続けながら転職活動をしようと考えました。しかし、職場環境は一向に良くなる気配もなく、転職準備もままならない状況でした。失業給付や傷病手当などの制度を調べつつ、より早期の退職を視野に入れて日々を過ごしていました。職場のサービス残業は月に80時間を超えて、やりがいもなく淡々とこなすしか無かったのです。

生産性の無い日々を変えるため、有給休暇を消化して早期に退職しました。時間にゆとりが出来たので良かったです。

 

給料が安くてもノルマ無し、勤務時間が短い仕事に(30歳・元保険会社)

保険会社から非営利団体に転職しました。

私が以前勤めていた会社は保険会社で、私は営業を担当していました。営業の職員には毎月一定数の顧客を確保するというノルマが与えられていました。給料は完全に歩合制で、それぞれの営業職員のノルマの達成率のよってその月の給料の額が決まりました。

私は、最低限のノルマを達成していて給料もそこそこもらえていました。しかし、当時私は、仕事中は勿論、家に帰ってからもお客さんの確保の事しか頭になく、全く家事の手伝いをしたりや家族と休日に出かけたりできていませんでした。職場では、ノルマを達成できない営業職員が上司から酷く怒られているのを良く目にしました。その為、何とも言えない何とも言えない強迫観念にかられるようになりました。次第に夜も眠れなくなっていき、食欲までなくなってきたので、私はたとえ給料が安くてもノルマが与えられず、勤務時間が短い仕事に転職しようと考えました。

結果的に、給料は減りましたが、家族と一緒に居れる時間が増えましたし、何より自分自身が仕事でストレスを感じなくなりました。

 

給料の安さ等、将来性を感じられる職場じゃなかった(26歳・元土木関係)

土木関係の会社の作業員から食品会社の配送ドライバーに転職。

高校卒業後に以前働いていた土木関係の会社に就職したのですが、別にその分野に興味があったわけではなく消去法で選んだだけなので元々モチベーションは低かったです。

それでも同僚には良い人が多くてそれなりに楽しくやれていたのですが、入社してから3年目に隣県に1年間出張することになりました。正直に言うと出張は嫌でしたがその分だけ給料が上がることに加えて隣県ということで週末には家に帰ることも可能だったので、1年くらいならと我慢することにしました。

それからしばらく経ってもう少しで出張が終わるというタイミングだったのですが、ある時に今回の出張が終わってもすぐに別のところに出張になると聞かされました。今度は気軽に帰ってこれるような場所では無かったので、その時点で辞めたいと思うようになりました。一応理由を聞いてみると会社側が何か問題を起こしたようで、地元で仕事を取りづらくなったのが原因だと聞かされました。

出張が嫌だったことが特に大きいですが、それ以外にも通常時の給料の安さやあまり将来性を感じられる職種でないことから転職を決意しました。

前職よりは給料は上がったのでその点は良かったと思います。また土木関係の会社と比べれば出張になる可能性も低いと思うので、転職したいと思った理由も解消されたと感じています。

 

不当な人事移動や現場の労働環境悪化を目の当たりにして(39歳・教育産業→団体職員)

教育産業から団体職員へ転職しました。
元々社内の環境はあまりいいほうではなかったです。その上、教育産業だったので朝から晩まで学校をあけている間、業務時間になるのでサービス残業が常態化していました。

それでも受講生の方々が夢を叶える瞬間に立ち会えるやりがいのある仕事でしたから労働環境が悪くてもやるだけの意味を持っていました。

あるタイミングで地域トップになる部長が人事移動になり、入れ替わりで来た新しい部長からの風当たりが非常に強くなり、その1年後には私の仕事内容に特に落ち度もなかったにも関わらず、謎の2階級降格人事を喰らいました

同じ査定時に部長が思いっきり気にいっていた若い女性職員は私と私の直上の上司を飛び越して3階級昇格の人事でした。この有様に至るまでの1年間を支店で見続けていて現場の混乱と労働環境の悪化は極まるとこまで悪くなったと考えました

この会社にいても大事にされる事は無いと見切りをつけ、会社には内緒で転職活動を進めました。

転職した先は組織内の人間関係で問題もない上に収入は約2倍超になりました。

やっぱり前職がちょっとおかしかったんだろうなと思いますがその厳しい環境下で長年働いたからこそ、今ほとんどの業務で余裕を持って取り組めていますので前職にも感謝しています。

 

休みも取れない、ブラック企業体質に嫌気がさして(41歳男性・不動産営業)

前職は、不動産の営業職でした。今で言う完全ブラックな体質に嫌気がさし転職しました。

まず休みがほとんど取ることができません。1ヶ月に6回休みがあるはずだったもののお客様対応やノルマ達成のため2回程度になってしまいます。

休みが取れたとしても担当のお客様から呼び出しやクレームもあり心が休まることはありません。そのため家族サービスもできず妻や娘からは不平不満の嵐でした。

それでも給料が良ければ救われますが40歳にもなり家庭がありながら年収で400万円では話になりません。このままでは家庭を維持することさえ危ぶまれたため転職を決意しました。

更に、二度と不動産関連やノルマがある業界とは関わりを持ちたくなかったため全く別の業界に転職しました。

転職先は中小ながらルートセールスをしており良好です。給料も多少上がり休みは月に8回になったのです。更に、まとまった休みを入れると年に116日ほど休めるため家族旅行にも行けるようになりました

 

有給休暇もとれない劣悪な労働環境(27歳男性・不動産コンサルティング)

社長はワンマンで専務はその腰巾着でした。仕事の内容や同僚はとてもよかったのですが、上司や労働環境が悪すぎました。

労働環境は劣悪で、残業は100時間は超え、有給休暇は取らせてもらえませんでした。試用期間という名目で残業代の支給はありませんでした。試用期間が終わってからも残業代は、仕事が遅いから残業になった、という理由でもらえませんでした。

給休暇はお盆休みを1日取っただけです。それも前日はほぼ徹夜でした。これなら休みなんていらない、と思いました。

大企業ならば、配置転換もあるので上司と合わなくても数年の辛抱です。今なら会社に相談すればすぐにでも配置換えをしてくれるかもしれません。

でも中小企業の場合、社長と合わなければやめるしかありません。短い間でやめてしまいましたが、後悔はありません。

転職してよかったと思っています。今の会社は満点というわけではないですが、かなり改善しています

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2018年2月17日 労働時間(残業など)や労働環境の不満で転職しました【男性の体験談】 はコメントを受け付けていません。 転職した理由アンケート